戦争責任

先日、NHKを観ていたら、映画監督の伊丹十三氏のことを取り上げていた。

伊丹映画は、社会のタブーに切り込んだという点で、評価が高いとのことで、確かに、とうなずける内容だった。

その番組の中で、伊丹氏の父親である、同じく映画監督の伊丹万作氏のことに言及するコーナーがあった。

私は、万作氏の社会認識の鋭さに驚いた。


氏は、『戦争責任者の問題』(「伊丹万作全集1」筑摩書房刊)において、敗戦後、日本国民の多くが、「だまされて戦争をしてしまった」というのを聞いて(以下抜粋)、

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

と、鋭い批評を展開している。


氏が危惧したことが、そのまま、実現し、今の混迷する日本社会が出来上がってしまった。

だまされた、といい、自分の責任に関して、何の反省もない国民。

責任を他に求め、自分は無垢で正しい、国から保護されるのが当然と、権利を主張する国民。

こんな愚かな国民を、だますのは、赤子の手をひねるがごとく、何の苦労も要らないだろう。

この国の民は、自分の頭で、社会を、日本を考えるということを放棄している。

日本人のくせに、アメリカにしか興味のない、悪意ある者に、だまされ、搾取され続けるのだ。

老人、障害者、経済的弱者に対するセーフティーネットの構築もせず、あっても、あえてネットに穴を開けるような仕打ちをする国家。

アメリカの戦費の肩代わりを、国際貢献という美名を借りて、国民を見殺しにして、優先する国家。

口を開けば、グローバル化(要するにアメリカ化)しか言わない、言えない売国奴

異常な事態だ。



敗戦時、戦争の意味を、十分に考察せず、水に流し、サッサと忘れて、他人事にしてしまったことのツケが、一気に吹き出たのが、このメチャクチャな日本社会である。

懲りない国民は、この先も、だまされた、と言い続けるのだろうか。