JR外房線の電車で、油性スプレーを使った落書きがあったそうです。
良く町を歩いていると、見るに堪えないスプレーを使った「落書き」を見かけます。
あれと同じものです。
公共の場所や、個人の家の壁に、自分ではアートを気取っているでしょうが、汚い、得体の知れないものを、非合法を承知で、描くわけです。
ご存じの方も多いと思いますが、アメリカの真似です。
自己主張をするためには、手段を選ばないという、アメリカらしいやり口です。
ポップアートを気取っているんでしょうが、汚物にすぎません。
なんだか、ネコがおしっこを、縄張りにひっかけて歩くのと似ていませんか、あの暴力的落書きは。
電車の写真をよく見ると、車体の右端に、見覚えのあるサイン?があります。
どれも個性が無く似ていて、同じ人物、あるいは、ごく少数の人間が、あちこち描いているのかもしれません。
この視覚の暴力とも言える落書きが登場したのは、自由をはき違えた放任教育の結果ではないか、と私は考えます。
芸術家を気取っていますが、立ち小便したり、ゴミをポイ捨てするとの全く同じ行為です。
この卑怯な落書きテロは、捕まりませんね、なかなか。
ですから、懲りることが無く、続いているんでしょう。
戦後民主主義教育が生んだ自由をはき違えた親と、その子供の見事なコラボレイションの賜でしょう。
この卑怯な落書きテロがない社会を、教育の力で構築しなくてはなりません。
50年以上、下手をすると100年かかるかもしれません、これから取りかかっても。