都立中高一貫校の書類選考による足切りが来年度からやめになるらしい。
安い中高一貫校?として、たいそうな人気で、足切りに対する父母からの抗議に答えたかたちだ。
都立の中高一貫校は、結局、何を目指しているのか。
取り繕っても、結局は有名大学進学実績を稼ぐことが、その目的じゃないのか。
だからこそ、親も、目の色を変えて、受験機会の確保に躍起になったのではないのか。
公教育だから、学科に対する試験を課すことができないらしいが、やってることは学科試験と同じではないのか。
鳥じゃないのに、一羽と数えられるウサギを連想する。
学科試験で、なるべく優秀な生徒を確保することが、大学進学実績を伸ばすために必要なはずだ。
おおっぴらに学科試験ができなからと言って、言葉の遊びのような適性検査?を課すとは、下心が見え見えなだけに、陳腐に感じる。
正規の学科試験で、学力を判定されて、それにふさわしい教育を受ける環境を手に入れることの方が、いいような気がするが。
落ちた者も、きっぱりと諦めがつくのではないか。
中高一貫教育が、大学進学実績向上の道具として使われていることに疑問を感じる。
真に、中高一貫教育が、中等教育にすばらしい成果をもたらすかどうかを実験したいなら、大学進学実績とは切り離して計画することができなかったのだろうか。
結果として、大学進学実績も向上した、というならわかるが。
わざわざ、都立上位高校(ほとんどが旧制中学以来の伝統校で、昔は進学校)を中高一貫校に改変したのは、手っ取り早く、大学進学実績という点に関してだけ、結果を出そうと考えたからではないのか。
父母の要求に応えた、という答えが返ってきそうだ。
確かに、そうかもしれない。しかし、東大を頂点とした難関校に合格者を送り込むことだけが教育の目標だろうか。
いい大学に入ること=教育の成功、という式が成り立つのか。
今、巷を騒がせている守銭奴とそれに群がるバカどもの学歴をみるがいい。
大学進学実績がすべてに優先してしまい、人間に目を向けた、一本筋の通った教育改革は、無理なのだろうか。
この国の未来を担う子供は、目先の利益だけに振り回されている変質した教育の中で、健全に成長できるのか、不安でならない。