学力をどう考え、子供と向き合うか

タイトルの件について、思いつくままに書いてみた、というより、だらだら書いた後に、内容にあってそうなタイトルを付けたと言った方が正しい。

今、学習塾や進学塾が大流行だ。70年代以来の、塾ブームらしい。ゆとり教育への反動もあり、子供の将来を見据えて、少しでも学力をつけさせて、有名大学へと考えているのだろう。

自分の経験からすると、現行のペーパーテストで評価される学力に関しては、持って生まれた資質に依るところが大きいと感じている。つまり現行の学力評価方法を上手くこなす能力がある子が、頭がいい子、ということになる。知力をどう捉えるかは様々な意見がある。僕は、その他の知力の評価法に関しては、全く知識がないので、ここに書いたことが、かなり偏った議論に感じられるかもしれない。

努力、コツ、要領のよさ、などで学力は確かに伸びるが、それもすべて、持って生まれた才能に起因している。がんばりや努力と言った精神論的要素も、持って生まれた才能の1つに含まれると思う。才能のある、出来る子は、必ずどこかで、自分にあった努力をしている。往々にして、それを見せたがらないが。

出来る子供は、基本的には、どうやったって出来るのだ。個人差があるので、多少の紆余曲折はあるものの、最終的には合理的な範囲に収まっているはずだ。ただ、人間のやることだから、常に、例外はあるが。

僕の経験だが、小学校時代の同級生を見渡してみても、特殊な知育教育を受けていなくても、優れた知力を発揮していた子供は、それにふさわしい学力の伸びを示している。ただ、大学受験などのテクニック的要素が強い場合は、明らかにトレーニングの善し悪しが、大きく影響している。だからこそ、ある一定以上の知力が保証された場合、有効なトレーニングを与えてくれる有名進学校を目指すことになるし、その有効性も、ある程度、認めざるを得ない。それもこれも、現行の学力評価方法に限定した話と理解していただきたい。

今の親は大変だ。子供の才能を客観的に観察して、その子に最も有効な知育を施さなければならないからだ。これだけ高等教育が普及し、それを修めることが、より良い人生のために大きな保証となることが明らかな場合、その保証を得るために、親が子供に対して、何が出来るかをよく考えなければならない時代だ。去年、ちょっとしたブームになったドラゴン桜が、多くの共感をもって受け入れられたのは、現実社会の偽らざる仕組み(東大をはじめとした一流大学を出た方が人生において有利)を正面から言い当てたからだ。

時々、子供を塾に丸投げにしてしまえば、どんなにか楽だろうと感じる。たまに訪れる中学受験のサイト(偏差値30からのお受験講座、内容が本にもなっている)では、日々、苦闘するお母さん方(たまにお父さんもいる)の様子を、リアルに知ることが出来る。彼女たちは子供との関わりを毎日試行錯誤しているのだ。答は1つではないから、多くの悩みが生まれるのだと思う。解答のない試験に親は取り組み続ける覚悟が必要だ。僕自身も、この難問に関しては、現在進行形であり、多くの悩みを抱えている。

最後に、ここでの学力、あるいは、それを生み出す知力は、現行のペーパーテストと言う手法で評価した場合に限定したものであることを、重ねて強調しておきたい。