砂の器(映画鑑賞会の思い出)

最近、松本清張推理小説砂の器」がテレビドラマ化された。原作とはかけ離れたもので、渡辺謙という私の好きな役者を使ってはいるが、まったく物足りない出来だった。和賀英良役の男優の下手くそな芝居にはほとほと参った。今回のような、原作を無視したテレビドラマ化がよく許可されたものだ。清張氏は悲しんでいないだろうか。

砂の器ハンセン病という感染症に対する偏見と、それによってもたされた父と子、それに関わった人々の悲劇が、その背景にある。小説のテーマは「宿命」に集約されると思う。

私が高校生のとき、この小説は映画化され、日本映画では空前の大ヒットとなった。その年の江戸高の映画鑑賞会で、砂の器が取り上げられた。高校生の私は、この映画にまったく興味がなく、その内容の深刻さを考えることはなかった。銀座の映画館で鑑賞会があったが、その後、友人とどこに遊びに行くかが、重大な関心事だった。島田洋子という女優のセミヌードのシーンがあり、男子から感嘆の声が上がった。それくらいしか、この映画鑑賞会については記憶がない。

当時は、ハンセン病(以前はらい病と呼ばれていた)に関しては、ほとんど話題になることはなく、高校生である我々に、この病気の悲しい現実を正しく伝えるという学校側の努力は、まったくなされなかったと記憶している。この病気にふれることはある意味、社会的なタブーだったのかもしれない、70年代においても。国語の先生が、少しだけこの小説について話されたような記憶があるが、それもほんの一瞬だったような気がする。

大学生になってから、松本清張の小説を集中して読んだ時期があった。その時に、砂の器の背景にあるハンセン病の現実を知り、愕然とした。そして、何かの機会にもう一度映画「砂の器」を観たが、その宿命の悲しさに、流れる涙を止めることが出来なかった。それ以来、砂の器は、私の最も大切にしたい日本映画となった。

現在、ハンセン病の問題を、学校ぐるみで考えるという取り組みが多くの高校で行われている。とくに、キリスト教系の高校(ほとんどが中高一貫校)では熱心なようである。それはキリスト教ハンセン病との深いつながりが関係しているためと考えられる。現在もなお重要な社会問題であるハンセン病を真摯に考える場が高校にあることは、私の高校当時と比べて、喜ばしいことである。

江戸高では、このような社会問題に関して、どんな取り組みがなされているのだろうか。学校の姿勢と生徒の精神的成熟度を知る上でとても興味がある。

4月8日に、映画「砂の器」の監督をされた野村芳太郎氏が亡くなられた。巨匠の死を心から残念に思う。