絶望的な社会へ向かうニッポン

アベが広島と長崎の原爆犠牲者の追悼式典に参加したが、一体どんな気持ちでその場にいたのだろうか。
 
原発推進、つまり核兵器製造と核武装準備を掲げた人間には、全く場違いな式典である。
 
いまだに核の傘などというサギ口上を弄して、核武装への準備に全勢力を費やす国粋主義者の代表が、A級戦犯売国奴の孫であるアベなのだ。
 
繰り返しになるが、このような最悪の人物がいけしゃあしゃあと、こともあろうに、2度も総理大臣になれること自体、信じがたいことで、ニッポン人の中のある集団は、あの戦争を主導したことを、その結果として、多くの国民の命が失われたことを、少しも反省せず、米国産軍複合体の支援のもと、軍事による世界の一等国入りを目指しているのだ。
 
その狂信的な一団にとって、一等国とは、核武装国家なのであって、平和的な手段で世界の信頼を勝ち得る、友好的な国家など眼中にないのである。
 
このような集団が存在し、その代表であるアベが政権を取ることが可能な異常な国家である理由は、敗戦後、A級戦犯の多くが、米国の身勝手な都合で赦免されたことに起因すると考える。
 
国民は、あれほど悲惨な戦争の責任を追及することもなく、驚いたことに、その最高責任者の国内巡幸に際して、万歳で迎える、などという軍国主義時代と少しも変わらない対応をしたのだ。
 
想像を絶するおめでたさである。
 
そのような破廉恥で無責任な対応は、売国で命を救われた戦争犯罪人がお膳立てしたものではなかろうか。
 
あの戦争を主導した者には、キチンと責任を取らすべきだったのだ。
 
そうすれば、米国の植民国家であるニッポンではなく、日本、という真に民主主義な社会が実現できたかもしれない。
 
一掃されるはずだった戦争犯罪人売国奴が、政治、経済、文化、すべての面で実権を取り戻したことにより、今のニッポン社会が構築されてしまった、いや、再興されてしまった、と考えるべきだろう。
 
アベは原爆追悼の会出席後の記者会見では、自分に都合の悪いことには一切ふれず、また、インチキマスゴミも核問題を追求することなく、いつものように、アベの自画自賛が演出された。
 
原爆被害者の救済に関して、規制を加えるという破廉恥な国家を造営したのは、アベの所属する自民党とそれを支援する巨大利権(財閥)であることは明白であり、それを反省することなく、いくら救済の基準をゆるくする、などと会見でパフォーマンスしても、救済が遅れた、いや、拒んだ責任はすべてアベにあるのだ。
 
それを、あたかも自分が改革したかのような顔をして会見するとは、厚顔無恥にもほどがあるというものだ。
 
アベ一味の手法は、いつも同じである、都合の悪いことには一切ふれず、完全無視、を決め込み、自分たちに都合のいいことだけは、過剰な演出で、自画自賛してみせる、というまことに国民をバカにした、かつ、幼稚極まりないやり口である。
 
アベ一味にとって、経済など国民を詐欺にかけ、隷属させるサギの一手段に過ぎず、国民の生活などどうでもよく、国粋主義国家主義を実現するために、あらゆる手段を弄して政権を強奪することが最大命題だったのだろう。
 
それがバカ国民の短慮で実現した今、経済のことなど、もとより無策な連中であるから、景気がよくなったというインチキ宣伝で国民を詐欺にかけ、その裏で、憲法改悪と軍事国家の再興を、すべての反対勢力を弾圧し、無視するという、独裁政治、によって強行するだろう。
 
現に、副総理であるアソウという、これまた戦争犯罪人の末裔が、ナチスと同じ手法で憲法を変えてしまえばいい、と発言した。
 
アソウという知力の少々足りない人物は、ナチスが民主的な手続きや手法で改憲し、ナチス国家、を建設したかのような妄言を語っていたが、これはとんでもない誤りであり、ナチスは内部での暗闘と、それに付属する秘密結社から派生した暴力的な組織(突撃隊や親衛隊)による思想、人権の弾圧によって、その目的を達成したことは常識である。
 
アソウという愚か者が、副総理、であること自体、恥ずかしいことであるが、大手マスゴミは、この暴言を追求することなく、また、アベもこの件に関する野党の異議申し立てを黙殺するなど、現政権が、独裁政治、に急速にかじを切ったことを深刻に考える機運が全くないことが、私には信じがたいことで、この国の行く末を思うと、暗澹たる思いに囚われてしまう。
 
このままでは、ニッポンは、間違いなく絶望国家、国民の大多数が奴隷扱いされる社会になることだけは確実だ。
 
だめ押しとして、検察が、福島原発事故の責任追及をしない方針を固めた、というニュースが垂れ流され始めたが、これも、国民を詐欺にかけ、無条件で検察の暴挙を受け入れさせるとういう、原発利権と核武装を決して諦めない国家権力の恐ろしい策謀なのだろう。