ツナグを読んだ

辻村深月さんの、ツナグ、を読みました。
 
本屋で、週間ベストワン、として展示されていましたし、ちょうど今、映画が公開中なので、それにつられてです(笑)。
 
確かな文章で、あっという間に読み切りました、好きな文体です。
 
ツナグ(使者)は、死者と生きる者との間を取り持って、両者を対面させてくれる、仲介者(使者?)という設定です。
 
オカルト的な印象を受けましたが、読んでみると、そのような要素はなく、ちょうど、浅田次郎の、ぽっぽや、に出てくる娘のような、当たり前の存在として、死者が描かれていて、すんなり受け入れることが出来ました。
 
私は、浅田次郎、の文章と雰囲気が似ている,と感じましたが、そんな書評はどこにもありませんね(汗)。
 
それはさておき、作者の力量を強く感じるのは、4つの、全く状況が異なるエピソードを、1つの物語として、最終的にまとめ上げていることです、素晴らし構成だと感じました。
 
そして、ツナグである老婆と、ツナグ見習い中の孫をとりまく、複雑な事情を、そのまとめにうまく挿入し、物語を上手に帰結させているのです。
 
4つのエピソード、と書きましたが、各エピソードは、生きる者、つまりツナグに死者との面会を依頼した者が語る(依頼者の視点で)という感じで書かれています、まあ、書いているのは辻村さんですから、堅い文章ですけどね。
 
私が、とくに、印象に残ったのは、女子高校生のエピソードです。
 
仲良しだった2人の女の子が、部活の演劇部公演の役どころを巡って、仲違いを起こしてしまい、さらに、そのうちの一方が、もう片方に役を取られたことを逆恨みして、殺意を抱いてしまう、という話です。
 
殺意を抱いてしまった女の子は、通学路である坂道に水をまいてしまうのです、道が凍って、恨みに思う女の子に転倒事故を起こさせようとして。
 
そして、その次の日に、本当に事故が起こり、恨まれていた女の子は死んでしまう、というストーリーの展開です。
 
そこから、殺意を抱いた女の子が、自己保身のために、つまり、坂道が自分の撒いた水で凍っていて、転倒事故が起きたということの真偽を確かめるために、そして、亡くなった女の子を呼び出すことで、他者との面会を阻止できることから、つまり口封じのために、会おうとするのです。
 
ちょっと嫌な話ですけどね、人間の、自分可愛さ、自己保身、という本性を、ダイレクトに描いています。
 
自分もそうしたんじゃないか、と恐ろしくなります、心のどこかで、必死に打ち消そうとしますけど。
 
水を撒くことと事故の因果関係はない、という事実で話は進んでいくのですが、当事者としては、それでも自分が水を撒いたこと、つまり、なにがしかの殺意があったことを、なんとしても隠し通したい、そして、死んでしまった友人に、自分の邪悪さを気取られずに、消えて欲しい、という強い自己保身が働きます。
 
高級ホテルの一室で、亡くなった友人と、ツナグ見習いの孫(男の子)の仲介で、合うのですが、実は、状況は複雑で、偶然とはいえ、女の子2人とツナグ見習いの男の子は、同じ高校の、同級生なのです。
 
亡くなった女の子は、生前、男の子に、恋心、を抱いていおり、それを思うと、若くして死ぬことへの不条理を強く感じさせます、辻村さんの巧妙な仕掛けですね。
 
自己保身のために、死んだ友人に会うことを望んだ女の子は、折角のチャンスを、殺意を抱いたという本心を打ち明け、そして、親友として別れる最後のチャンスを生かすことをしませんでした。
 
亡くなった女の子は、それを見抜いて、どうでもいい話題に終始し、そのまま分かれることとなりました。
 
そして、死者との面会が終わった後、女の子は、ツナグ見習いの同級生から衝撃的な言葉を聞くのでした、亡くなった女の子からの伝言として。
 
道は凍っていなかったよ
 
この伝言の持つ意味を、色々と考えてみましたが、ひとによって解釈は異なると思います。
 
この伝言の意味を考えてみることだけでも、この作品を読む価値がある、と私は考えます。
 
その他の3つのエピソードは、あるタレントの突然の死を題材にしていたり、心から愛していた人に会いたい、という誰でも感情移入しやすいものです、自分の人生と重ね合わせて。
 
これまで全く読んだことのない作家でしたが、これを機に、注目していこうと思います。
 
 追記:映画もぜひ見に行こうと思います。