感情的なのは、お前だ、石原

石原慎太郎というてっぺん野郎は、放射能被曝の危険性など、全く理解していないし、理解するつもりもないだろう。
 
てっぺん野郎がこれらを認めないのは、核武装を目指しているからであり、核兵器という強大な破壊力を手に入れることだけが最終目的であり、それによって、すべてが支配できると狂信しているからだ。
 
放射能汚染について、東京都は無視を決め込んでおり、積極的に都内のホットスポットの探索をすることもなく、定点、それも、安全そうな場所を定めて、たまに、とってつけたような測定結果を発表する程度である。
 
子供が被曝しようが、お構いなしである。
 
汚染したがれきを焼却処分し、東京中に、つまり、世界中に、放射能をまき散らかすつもりのようだし、驚いたことに、下水処理施設ではその汚泥に高濃度放射能が含まれているにもかかわらず、なんの防護措置を施すこともなく、職員を働かせ続けていた。
 
よほど、ひとの命を犠牲にすることに、快感を感じるようである、あの異常者は。
 
その異常者を知事に据えた、心ない東京都民は、あの者と同じく、悪魔の心を持っていると私は断じる。
 
てっぺん野郎の子供(自民党の石原なんとかという大ばか者)が、福島原発事故発生の初期に、放射能を心配する市民を、ヒステリー扱いしたが、マスゴミは、全く追求することなく、あの大バカ者を見逃した。
 
いま福島で進行中の、全く解決の糸口が見あたらない原発事故は、現実であり、センチメント、と決めつける石原こそ、己の野心のために現実をすべて無視した、まさに、センチメント、な態度である。
 
この生命体の、毎度毎度の、あまりに幼稚な言説には、ほとほと呆れかえる。
 
親も親なら、子供も子供である、親子して示し合わせたかのように、心ない、ひとを小馬鹿にしたような発言を繰り返している。
 
あの石原家という成り上がり者一家は、その心の片隅に、何か大きな闇、コンプレックスを抱えていて、それが、あのような尊大な態度、まるでガキのような虚勢を張らせるのだろう。
 
哀れな、成り上がり、張りぼて政治屋一家である。
 
心ある市民が、原発の危険に目覚め、国民の生命財産を無視した原発開発を隠れ蓑にした核兵器開発に、なんとか歯止めをかけようと、住民投票原発の可否を決めるように立ち上がったが、この国民としての、当然の権利、をてっぺん野郎は、屁理屈をつけて、黙殺しようとしている。
 
石原は、核兵器で周辺国を脅しつけ、世界の超大国として振る舞うニッポンを目指しており、東京都には、このバカげた野望に共感する大バカ者が日本中からか集まっているようだ。
 
困ったことに、この軍事力を背景にした帝国主義を推進することを、愛国、と決めつける愚か者がいることだ。
 
そのような愚か者は、美しい国ニッポン、などと愛国者ずらして、その実、その醜悪な野望の完遂のために国民を犠牲にすることに、少しのためらいもない。
 
いま、まさに福島で起きていることが、それである。
 
ねつ造された神話を振りかざし、愛国を暴力でしか実現できないと狂信する思想は、先の愚かしい戦争にこの国を追い込んだのだ。
 
その歪んだ危険思想のスポークスマンが、まさに、てっぺん野郎、なのである。
 
以下に、関連記事を引用するが、人の心を持たない、救いがたい醜悪な生き物である。
 


 
石原都知事原発住民投票条例「作れるわけがないし作るつもりない
産経新聞 2月10日(金)19時39分配信
 
 市民団体「みんなで決めよう『原発国民投票」による原発稼働の是非を問う住民投票条例制定を求める署名が東京都で法定必要数を上回る見通しとなったことに関して、石原慎太郎都知事は10日の定例会見で「代案も出さずにセンチメント(感情)で言っている」と懸念を示し、「手続きを出したらいいが、条例を作れるわけがないし、作るつもりもない」と否定的な見解を示した。

 今後は選管審査で必要数を上回れば、市民団体が条例案を作成し、知事に請求。知事は賛否などの意見書を添えて都議会に付議する。

 石原氏は「原爆のトラウマがあるから、みな一種の恐怖感で言っている。人間は技術を開発し、失敗や挫折、事故もあったが、克服することで文明が進歩してきた」との見方を述べた。

 また、東電以外の電力事業者からの購入を求める声が増えていることに関し、「東電や関電など大手以外のシェアは3%程度しかなく、それに集中しても、東京の電力がまかなえるわけがない」とも述べた。