ヒューマンエラーを持ち出してきた

日曜日の朝日新聞朝刊の一面に、福島第1原発事故に関する政府の調査委員会の見解として、事故発生当時、適切な対応がなされなかったことが、あたかも主原因のような印象を与える記事が載っていた。
 
つまり、ヒューマンエラーを前面に押し出そうとする意図を私は強く感じたのだ。
 
地震では原子炉は全く健全であった、その後の津波がすべての原因であり、それでも東電の幹部が適切な対応をしていれば、大事に至らなかったかのような論調なのだ。
 
原子炉の検証が全くできない状況にもかかわらず、始めから、地震による破壊を全く無視して政府と東電は事故を説明しようとしてきた。
 
こんなインチキな連中に、核爆弾である原子炉を任せることなど自殺行為なのである。
 
日本人は、特攻、をやったという恥べく前科があるが、よほど自殺に特別な意味、いや、身勝手な侍の美学にすっかり染まってしまっているようだ。
 
同じ日の夜、NHKは事故の再現ドラマをタイミングよく放映して、その中でも、このヒューマンエラーがあたかも重要な要因であったかのような内容に仕立ててあった。
 
さすがに国営放送である、原発に批判的な番組を時には放映してきたが、政府のインチキ事故終息発表に合わせるように、地震から国民の意識をそらすかのような番組を製作していたのだ。
 
ハッキリ主張したい、これは政府による洗脳である、地震では原子炉は全く壊れなかったというキャンペーンなのである。
 
繰り返し、繰り返し取り上げてきたが、ニッポンは、国家の体をなしていない、国民に死のリスクを押しつけるような政府である。
 
もうこれ以上、支配階層の蹂躙を黙って受け入れてはいけないのである。
 
心ある人達が少しでも声をあげ、それが集まり、大きく育つことで、この明治期に始まった、猿まね、張りぼてインチキ国家、を清算すべきなのだ。
 
NHKで、司馬遼太郎の、坂の上の雲、を国威発揚的な味付けをした構成で放映しているが、あの帝国主義帝国主義のぶつかり合いにすぎない戦争を正当化するために一体どれくらいの国民の命と財産を無駄にしたか、ニッポン人は、そろそろ武家や一部公家に源を発する利権の奴隷であることに気づくべきなのである。
 
坂本龍馬を取り上げた歴史ドラマが去年放映されたが、ドラマに登場した岩崎弥太郎のあざとい政商としての暗躍が、いまの巨大原子力産業の三菱につながっていることを、一体、どれほどのニッポン人が理解しているだろうか。