除染の裏にある政府の意図

国は、汚染地域に住民を帰そうと躍起になっている。
 
最近、除染、という言葉をよく耳にするようになった。
 
政府は、高レベルの汚染物を取り除き、住民の帰宅を促す腹づもりだ。
 
この企ては、将来のリスクを全く考慮しておらず、その場しのぎの、場当たり的、かつ、当初から計画されていた政治的判断に基づくものであることを、住民は十分に理解すべきだ。
 
私が一番恐れることは、危険地域に帰宅することにより、緩慢な放射線被曝が長年にわたり継続し、ガン、などの障害が何年も後に頻発することだ。
 
これに関しては、チェルノブイリ原発事故が、多くの情報を与えてくれたし、その危険性は人類の共通認識となっている。
 
このような世界的な常識に反して、日本政府が帰宅を急ぐ理由は、被爆による障害がすぐに顕在化しないことをいいことに、お金のかかる面倒なことはさけて、原発事故を、国内的には、なるべく小さく見せて、国民に反原発的な意識を持たせないようにして、今後も、莫大な原発利権を謳歌し、核武装のための原発を維持するという意図が、支配階層、既得権者にあるからだろう。
 
一般市民の命など、惜しくも何ともないのだ、彼らは。
 
さらに心配なことがある。
 
帰宅するものと、しない者で、補償や行政サービスに差が生じ、いや、あえて、帰宅を即す目的で、帰宅した者が有利になるような仕組みを作るのではないかと、私は心配している。
 
国策に逆らう者には、徹底的に嫌がらせをするという国である、それくらいのことはあって当然と考える。
 
帰宅する者は、自分で望んで帰ったのだから、将来のリスクは補償されない、ということになるのではないかと心配する。
 
国の言い訳は、除染したから安全なはずだ、本人が望み、少なからず可能性のあるリスクを承知の上で帰ったのだから、国には責任がない、だろう。
 
もし、危険地域、避難地域、に関して帰宅を促すつもりなら、将来に発生する障害に関しても、国が全責任を負う、という明文化された制度のもとに、行われなければならない。
 
帰宅しない者に対しては、等価、のものを補償すべきである。
 
人情としては理解できるが、安直に、政府に操られ、故郷懐かしさから、命を危険にさらす必要はないと思うが、とても難しい判断が求められることだけは確かだ。