大した変動はないだと、感覚がマヒしている

まずは、あの読売新聞から引用。
 
 東京電力は20日、福島第一原子力発電所の2号機原子炉建屋で二重扉を開放した際、約5キロ西にある福島県双葉町山田で測定した放射線量に変動があったにもかかわらず、経済産業省原子力安全・保安院に報告せず、6時間以上放置していたと発表した。

 計測方法にもミスがあった。

 ただし測定した線量は特別高いわけではなく、この場所は警戒区域内で住民は避難している。また、この場所以外で測った4地点では線量に大きな変動はなかった。

 東電によると、2号機の扉は19日午後9時頃から開け始め、20日午前5時に全開状態にした。この時間帯に原発敷地内外で放射線量を計測したところ、双葉町山田では20日午前1時の毎時27・5マイクロ・シーベルトから午前8時には同45マイクロ・シーベルトに上昇していた。結果は同日昼前には東電本店に報告されていたが、同日午後6時20分に保安院に報告されるまで、本店内で放置されていた。
 
引用、ここまで。
 
この記事の無神経さ、無痛の感覚、をお分かりだろうか。
 
相変わらずの、大したことはない、という国民を欺くための、楽観的な報道であり、なんら反省が見られない。
 
大したことがないはずがないのである、27.5が45マイクロシーベルトに増加したのだから、相当量の放射能が環境にまき散らされたハズだ。
 
東電と国の発表はほとんど信用していないが、さりとて、他にニュースソースがなく、国民は真実を知る権利を奪われている。
 
原発から常時放射能は排出され続けているわけで、それが広範囲に検出されないからといって、存在しない、訳じゃないのだ。
 
環境には、毎日、莫大な量の放射性物質が排出されていて、原発周辺に限局した、目に見えないかたちで蓄積され続けている。
 
そこを逆手にとって、依然と続く、そして、これからも延々と続く放射能の排出は隠蔽されたり、何ヶ月も後になってから、実は、と言って発表するという汚いやり方で、今後も情報操作を続け、事故をなるべく小さく見せようと、バカげた努力を続けることだろう。
 
何とも不誠実で犯罪的な国家である。
 
これを操るのは官僚とそれに取り込まれた政治屋だろうが、どういった教育や人生を歩めば、こんな犯罪的な人間が育つのか興味がある。
 
逆に、日本という米国の植民地は、その政治と行政に関わる人材に倫理観や正義というものをきちんと教育しないという伝統がこういった国家犯罪を生む温床となっているのかもしれない。
 
少なくとも、官僚となる者には、専門養成所を設立し、長期間にわたる教育によって公僕のなんたるかをたたき込む必要がある。
 
仕事をさせながら、などでは手ぬるいし、ダメなことは現状を見れば明らかである。
 
若いときに、腐っていないフレッシュなときに、徹底的に鍛えることが必要なのだ。
 
今、中央に居座っているいる人間には、全く期待が出来ないという絶望的な社会が日本である。