科学が政治と結びついたことによる悲劇

人類が経験したことのない、むき出しの原子炉という、未曾有の原発事故により、福島の名前は、世界中の人たちに知られることとなった。
 
米国の原子力関係のサイトでは、FUKUSHIMA、の文字をよく目にするようになった。
 
日本人としては、何とも情けないことではあるが、それだけ福島第1原発事故の実態は、凄まじいものとして、世界中のひとが深刻に考えているということだろう。
 
日本政府とマスゴミは、事態をなるべく小さく見せようとして、卑劣な手段を使って、情報を隠蔽してきた。
 
その結果、原発周辺の住民が高濃度の放射能に被曝することとなり、いまだに、危険地域からの避難がなされず、いたずらに時間だけが過ぎていく状況である。
 
何度も繰り返してきたが、せめて、子供だけでも危険地域からは、即刻、避難させるべきだ。
 
福島の親たちは、なにを考えているか、私には理解できない。
 
東電の最大の株主である東京都が、すべての責任をとって、福島の子供たちを受け入れるべきである。
 
石原よ、自販機に八つ当たりしたり、パチンコ屋にケンカをふっかけるという、ちんぴらまがいのパフォーマンスをやる暇があるなら、福島支援に真面目に取り組んでみろ。
 
お前の悪行も、少しは免罪されるかもしれないぞ、いや、無理か。
 
 
今回の事故においては、科学者が、その論理性をすべて放棄し、いや、悪用し、住民を欺く政治に荷担することによって、人命が危険にさらされるという事態がずっと続いている。
 
日本人の科学者の中には、小出さんのような、良心的で、無欲の人もいるが、科学者としての社会的ステータスが高い人間ほど、そして、東京大学関係者であるほど、強欲で、無責任で、非科学的な発言を繰り返し、根拠のない安全神話を、この期に及んでも宣伝し続けている。
 
こういった、科学を捨てた科学者が美味しいえさにつられて、政治と手を結ぶときには、必ず大きな悲劇が訪れるものである。
 
原爆の開発が、そのいい例だろう。
 
昨晩の小出さんのトークでは、水道の汚染に関するコメントが重要である。
 
以下に、録音をアップした。
 
彼が繰り返しているように、放射能汚染に、安全、という数値的保証はないのである。
 
つまり、閾値、と呼ばれる、ある数値を挟んで、危険と安全が、明確に区別できる性質のものでないことを、多くの人たちはいまだに理解していないし、御用学者とそれに協力するマスゴミと行政(石原の東京都はとくにひどい)は、根拠の明確ではない規制値を持ち出して、安全である、と断言する始末だ。
 
正確には、被曝線量が減ればリスクは少なくなるが、将来、何らかの健康被害がある可能性はゼロではない、と正直に説明すべきなのだ。
 
放射能は、どんな濃度でも危険であり、汚染のない状況を目指すことが必要なのである。
 
だからこそ、原発は、廃止するしかないのである。