国が念書を取った(非情な国家)

まずは、嫌いな、読売新聞から引用。
 
時帰宅に同意書「役人仕事だ」と住民反発
読売新聞 5月11日(水)0時25分配信
 福島県川内村へ10日に一時帰宅した住民に対し、国側が「警戒区域が危険であることを十分認識し、自己の責任において立ち入ります」などとする同意書に署名を求めた。

 一部の住民から反発の声があがり、遠藤雄幸村長も「同意したうえで一時帰宅するのだから、改めて署名を取る必要はない。役人仕事でやめたほうがいい」と批判した。

 原子力災害現地対策本部長の池田元久・経済産業副大臣は報道陣に対し、「(警戒区域内では)責任を持って安全に気をつけて行動してもらいたいとの趣旨だった」と説明した。
 
引用、ここまで。
 
なんと言うことでしょう、この非情な政府の対応は。
 
私はこう解釈します。
 
避難地域は、極めて危険なことは明らかです。
 
ですから、そこへ立ち入ることは、相当量の被爆を覚悟しなくてはなりません。
 
住民は、その覚悟が出来ている訳です。
 
でも、政府は、後々、被爆が原因で放射線障害が出た、といって責任を追及されることを恐れていると考えます。
 
だからこそ、念書を取り、責任の一端は、あなたたちにあるのですよ、と言いたいのです。
 
どう思いますか、この対応。
 
念書を取ろうが取るまいが、この人類史上最悪の放射能事故は、政府に責任があるのです。
 
とくに、強引に推進してきた自民党と官僚に、全責任があると言っても過言ではありません。
 
思想性が明確ではありませんが、ある集団が、勝手に作られて押しつけられてきた恩恵や電力不足、を持ち出して、原発の危険性を唱える市民を圧殺しようと活動していますが、責任の所在は、明白なのです。
 
今回の、念書、はいかに規制区域が危険であるのかを、国が認めたことなのです。
 
本当のことを住民に話し、決断をお願いする事態なのです。
 
それでも現地にとどまる、と言う人がいたら、国は、どうするか、それこそ政治の出番なのです。
 
現地にいることを主張する人がいたなら、私は、国はその生活を支援し続ける必要があると考えます。
 
でも、そんな行為を黙ってみているのは、とても心苦しいです、まともな人間なら。
 
人が死を覚悟して生活するなどと言うことが、現代の日本で起こるとは、想像できませんでしたし、そんな国にしてはいけないのです
 
明治維新の下品な侍集団と悪賢い公家から発生した既得権者が、いまだに、この国を私物化しています。
 
支配階層の出自をよく調べて見てください、多くが、明治のどさくさで一山当てて、既得権を奪取した者の末裔です。
 
民主化を目指した、真に優れた者は、すべて、若死にしています、というか、殺されました。
 
一山当てた既得権者の末裔たちが、意のままに国を動かすことを容認してきたツケが、この国難で露呈しているのです。
 
どうか、国民の多くが、この民主化とはほど遠い、人命が限りなく軽んぜられる、明治期に始まった恐ろしい思想に気がついて欲しいのです、そして、声を上げてください。