全く反省なし

今日の朝日新聞の朝刊に、田中曽根、いや、中曽根元内閣総理大臣のインタビュー記事が、二面を使って、デカデカと掲載されていた。
 
予想通りに、現状に関するインタビューアーからの質問に答えるというかたちで、とくに、原発問題に関する質疑応答が多かった。
 
中曽根は、終始一貫して、原子力政策の遂行を正当化し、反省する点などみじんもない、といったコメントだった。
 
遺憾に思う、という言葉を一回だけ使っていたが、自分が中心となって進めてきた原発政策に誤りがあったことを認めたのかどうか判然としない、ストレートに誤りを認めた内容では決してなかった。
 
あの御仁、ちっとも反省なんかしておらず、これからも原発を推進すべし、と宣言していた。
 
自分が中心となって強引に進めてきた原子力政策が、破綻を来して、そのいい加減さ、特定の集団への利益誘導であったことが明白になった今でも、あれだけ堂々としていられるとは、普通の神経ではない。
 
まさに、軍国主義時代の、参謀本部に巣くっていた作戦参謀の感覚である、検証と反省を全くしないという。
 
そして、自己の正当性をあくまで主張し、非を全く認めず、権力を持って押し切るという、傲慢さ。
 
確か、中曽根は、官僚上がりだったと思うが、日本型秀才の典型=官僚=参謀本部の作戦参謀、であることから、まさに、思想性からして国民を下に見て、正義は常に自分であり、間違いなど犯すはずもなく、よって、反省などする必要もない、という態度を、今回のインタビューでも貫き通していた。
 
今回、何の意図で、このインタビューが企画されたかは明らかである。
 
自己正当化だろう。
 
国民の生命・財産を犠牲にしてまでも、アメリカがアイゼンハワー大統領時代にぶち上げた原発の推進を側面から支援するために、中曽根は、あらん限りの手を尽くしたはずだし、そのように述懐している。
 
つまり、原子力の平和利用とか科学の振興という耳障りのいい言葉で正体を覆い尽くした、アメリカの都合を最優先にするという、いつもの植民地政策である。
 
中曽根は、質問に答えて、大連立するより、今は野党でいた方が自民党にとってはいい、とコメントしていた。
 
これを読んだとき、私は電撃が走るがごとく感じた、このコメントの真意を。
 
この最悪の事態を引き起こした張本人が、黙りを決め込み、責任から逃れようとしているのだと。
 
 
いつもの愚痴になるが、これほど国民を愚弄する支配者が失政を真摯に反省することもなく、大手を振って生きていられる国家は、日本ぐらいではないか。
 
重ねて要求する。
 
存命である自民党の歴代の総理大臣を国会に呼び、今回の原発事故の責任を明らかにすることを。