暴走する教育投資

人生40年、だった時代の感覚で、教育が行われているのが、日本かもしない。

小さいときから、詰め込んで、お金をかけて、少しでも人に先んじようと、親はあくせくする。

小中学校時代の塾、高校時代の予備校など、一体、日本の親が子供の教育に投資するお金の額は、どれくらいになるのだろうか。

学費以外に、これらの教育費を投入して、子供を磨くのだろうが、はたして、効果のほどはいかに。

一流大学に入っても、勉強もせず、大学にも行かず、遊び狂って4年間を過ごす者もいるし、それでも卒業できる日本の大学ってのは、どこかおかしい。

大学に入って、まともな勉強もせず、ぶらぶらしている人間をつくるために、莫大な教育費が、心優しい親によって出費され、教育産業を潤している。

教育産業は、親の競争心と不安感、そして子供には無限の可能性がある、などときれい事をいい、勧誘と宣伝を、マスコミ、政治家、そして、お金をかけることで差別化できると信じて疑わない信者などを使って、大々的に展開している。

いま、この無駄な教育投資が、どれくらいの金額になっているのか、知りたいものだ。

大学受験まででいい、という者は、大学に進む必要はない。

大学在学中、そして、その先に対応できる知力を付けるべく、自己研鑽に励む気概がない者は、大学に来るべきではないし、そんな者に、お金をかけるのは、無駄、である。

この、とどまるところを知らない、公も一緒になって煽動する(都立高校改悪など)、馬鹿げた教育投資は、日本の子供の健全な知力の養成に、悪影響を及ぼしていると考える。

知力の発達速度を無視した、促成栽培と、早熟な子供の抽出が、はたして教育なのか、普通の知力の子供だった、その他大勢の1人だった私は、この異常なエネルギーに、危険を感じるのだ。