久しぶりに、「花神」を思い出しました。
中国では、はなさかじいさんのことを「花神」と言うそうです。
NHKの大河ドラマで、私が、大学生の頃だったと思いますが、放映されました。
オープニングの曲が、すごく良いんですよ、あれ大好きです。
壮大で、勇壮で、かつ、品があり、ほんと最高の曲です。
その内容は、明治維新を軍制で牽引した、大村益次郎(村田蔵六)の生涯と、それを取り巻く、多くの明治維新の立役者たちとの関わりを描いたドラマでした。
下敷きは、司馬遼太郎の、明治維新を題材にした多くの歴史小説で、司馬史観に忠実な脚本だったように思います。
司馬作品は、ドラマ仕立てになっているので、映像化するには、難しくなさそうです。
私は、数ある大河ドラマの中でも、花神が一番好きです。
大村益次郎の思想と、その行動が、私を惹きつけるのだと思います。
医師として出発し、語学の才能を生かし蘭学者となり、そして、明治政府の軍制の礎を築いたのは、周知の通りですが、その生涯の短さに比して、功績の大きさに、驚かされます。
まさに、彗星のごとく現れ、去っていったのです(暗殺された)。
司馬遼太郎が述べているように、大村益次郎は、理論を重んじ、身に付けた知識を、見事に生かし切った、驚くべき能力(天才)の持ち主だったようです。
本で読んだ用兵法を、実戦経験もないのに(村医だった)、見事に運用し、連戦連勝するなど、幕末の、政治的な動きとは全く別の世界で活動し、国内の争乱を鎮め、明治維新を完成させた功績は、傑出しています。
明治維新を牽引した偉人たちの多くは、政治家です。
しかし、大村益次郎は、政治色は極めて薄く、理論、科学技術、知識を、日本の実情に合わせて改変し、しかも、見事に運用して見せたのです。
もし、大村益次郎が、あの短い期間、それも、最も重要な時期に、登場しなかったら、明治維新は達成されなかったかもしれない、とある明治の偉人(忘れました!)は、最大級の賛辞を送っています。
政治で、人を動かす才能は、どうも、なかったようで
長州(山口)の出だったので、薩長の権力構造の中、身分に関わりなく、持てる才能を遺憾なく発揮できたことは、彼にとっても、日本にとっても、幸運だったと思います。
宇和島藩に召し抱えられ、天才的技術者である提灯屋の嘉蔵と、蒸気機関を、設計図だけを頼りに作ったことなど、当時の日本が、知識を理解する能力に関して、高い水準にあったことを、改めて認識させられます。
日本が、すんなりと西洋文化を理解する力があったからこそ、明治維新が可能だったのでしょうね。
宇和島藩の蒸気船の、独力による建造は、司馬遼太郎の言を借りれば、現代の宇和島市が、独力で、人工衛星を打ち上げたに等しい、というほどの業績になるそうです。
2人の天才が、偶然、宇和島の地で出会ったことにより、偉業が達成されたのでしょう。
この蒸気船の話だけでも、なんだが、わくわくしてきます。
明治維新は、日本史の中でも、ロマンに満ちた時代です。
そして、歴史にたらればはない、と言いますが、色々なことを空想させてくれる時代でもあります。
坂本龍馬が死ななかったら、とか、徳川がもっとしっかりしていて、勝海舟が実権を握ったら、とか、夢(空想)は尽きないです。
司馬史観に関しては、議論はありますが、彼は歴史家ではないのです、小説家なのです。
そこには、創作が必ず潜んでいます。それを理解した上で、楽しみたいものです。
花神、DVDで、見たくなりました。総集編しかないらしく、ちょっとがっかりです。
山口、宇和島、すべて、私とゆかりの深いところばかりです。
大切な場所なのに、宇和島には行ったことがありません。
ぜひ訪ねたみたい、そんな思いが私の心の内に生まれました。