ガンダムとドイツ

ガンダムって、息の長いアニメですね。

大学生のとき、浅草にあるBというオモチャメーカーで検品のアルバイトしていて、ガンダムには馴染みがあります。

その当時、ガンダムのプラモ(ガンプラ)が大ブレークし、入手困難な状況が続いていて、社会問題になりました。倉庫には山ほどのガンプラがありましたが、出荷日が決まっているらしく、一気に出荷されて、あっという間にスッカラカンになってましたね。これが毎週続く訳です。出たり、入ったり、たいへんなものでした。

現在のモビルスーツは、原型は当時のままですが、色々な装備が付け加えられていて、よりリアル?な感じに仕立て上げられていますね。ちょっとやりすぎじゃない?と思わせるようなものがあったり、さながらメカオタクの独壇場といった風情ですね。オタクを表現するときに、ガンダムは必須アイテムのようですね。

ガンダムを見ていると、第二次世界大戦のドイツ軍の兵器、とくに戦闘機を思い出します。ドイツはジェット戦闘機を初めて実用化したり、限られた状況の中で、非常に高性能な航空機を数多く開発しました。ジェット輸送機の実用化の可能性を示したのもドイツです。科学力に絶対の自信があったのでしょうね。

ドイツが不可解なのは、せっかく作った高性能なメカを実用化するまでに時間がかかることが多かったという点です。これに対して、アメリカは計画から実戦配備までを、ごく短期期間でやりました。この差が大きかったのかもしれません。いずれにしても、工業力の差が勝敗を決めた訳です。

では、ドイツは何をしていたかというと、メカが完成するとすぐに改良型や発展型を次から次へと考案し、いじくり回して、そのあげく、メカの実戦投入の時期が遅れるということが多かったようです。Me262という世界初のジェット戦闘機や高性能なレシプロ戦闘機のFw190のDシリーズなどは、まさにこの例です。もっとも、Me262の場合は、ヒットラーの偏執狂的な考えがその実用化を遅らせたようですが。

第二次大戦時のドイツ(人)のような、ものに対する過度のこだわりが良い結果をもたらすことも多いと思います。とくにサイエンスの場では、少々偏執狂的な方が成功するかもしれません。自分もかなりこだわりの強い人間です。しかし、そのこだわりが新たな発見を生むこともありました。ただ、その過度のこだわりが、狂気と結びついたときに、とんでもない悲劇を生んでしまう場合もあります。ことの大小はあれ、どの国でも、どの民族でも、狂気に走る可能性があります。

ガンプラに熱中するオタクな若者がノビノビ出来る日本は平和なんでしょうね。でも、なにか不気味なものを感じます。エネルギーは強いのに、妙に静かすぎます。なんか、不安だな。