日本中、汚染食品だらけです。
今後、海洋汚染の深刻化によって、魚介類の汚染拡大が予想されます。
飲料水に至っては、チェルノブイリのあるウクライナの100倍まで容認するというように、委員という、国民の健康に全く責任を感じない、学者の顔をした政治屋たちは、身内だけの議論で勝手に暫定基準値を決めました。
実際は、官僚が決めたことは、皆さんご承知の通りです。
委員といういきものは、科学や理論ではなく、政治で動かされているだけです。
彼らも、単なる使いっ走りなのです。
福島をはじめとした、汚染地域では(あまりに広大で収拾がつきません)、生きるために、一次産業を続行しなくてはなりません。
農業、漁業など、食料生産に直接関わる産業では、今後も、ずっと、苦闘が続くことでしょう。
政治がどう対応するかというと、私が一番恐れていることは、加工食品に使ってしまうことです。
加工食品に、どこ産の何を使った、という表示はありません。
この盲点を利用して、汚染が高いが、政府が(官僚です、本当は)勝手に設定した、暫定基準値、なるデタラメに引っかからないような汚染食材を、加工食品に使う可能性があります。
加工食品メーカーが嫌がっても、節電と同じ手法で、強引に従わせることが予想されます、原発を推進したい一心で。
まるで、太平洋戦争当時の、日本と同じ政治、社会状況です。
国民の安全、健康を一切無視して、特定集団の利益のために、国民を犠牲にするということが、いま、堂々と行われていることに、大多数の国民は反対の声を上げようとしません。
本当におかしな国民です。
よくもまあ、ここまで調教されたものです。
命を大切にするという、生物として最も大切なことが、すっぽりと抜け落ちているのが、現代日本人の特徴です。
これも、受験教育という、組織適応型人間の養成に最適な教育の成果かもしれません。
山県有朋らにより明治期に画策された教育手法をいまだに引きずる理由は、政府にとって都合のいい人間、つまり、誤った社会運営をしても疑問を持たない、反対しない人間を育てるのことに大成功したという、過去の実績、があるためだと考えます。
そして、日本人は、訳の分からない、身勝手な侍理論を刷り込まれ、命を差し出さされたわけです。
本当に不幸なことです、多くの無垢の日本人にとっては。
加工食品の食材として汚染地域のものが使われること(値段が安いという理由など)を、しっかりと監視する必要があります。
私は、キチンとした放射能測定をして、それを公表することで、国民に選択させればいいと思います。
そういう人達が、キチンと自分の責任を果たすことで、この国の一次産業は、少しは延命されると考えます。
重ねて言います、国民の半数近い原発推進派や容認派は、汚染食品を食べる義務があるのです。
当然のこと、ウソつき枝野は毎食福島の産物を食べているハズです。
彼らには、それだけの責任があるのです。