愛人による子供の虐待死はつづく

世の中、震災と人災である原発事故で大変なことになっています。
 
でも、その陰で、ほとんど注目されることなく、相も変わらず、小さな子供が、母親の愛人に殴り殺しにあったりして、虐待死が小さく報道されています。
 
何度か、幼児虐待、について記事にしてきました。
 
中には、中学生くらいの子供への虐待もありましたが、無抵抗で、親を信じている子供が、絶望の中で命の火を消すことなど、あってはなりません。
 
私は、今回の国難における日本政府とそのシンパ、そして金の亡者である財界の行動と言動をみていると、人命は大切です、と言っておきながら、その実、あからさまな人命軽視を、何のためらいもなく行っていると感じます。
 
現在の日本社会には、何か、人の命を軽く考える習慣が復活しつつあるのではないかと危惧しています。
 
つまり、国民の命を、国体の護持や支配階層の利権確保のために、何のためらいもなく奪うという恐ろしい考え方です。
 
そういった社会の、命への思いやりのなさが、何の落ち度もない、無抵抗な子供の命が奪われるという行為を見過ごす原因になっていると考えます。
 
繰り返し主張してきましたが、地域社会の役割が、子供の虐待防止に重要です。
 
地域の目が、親として不適格な者を発見し、子供を保護するためには、必要です。
 
とくに、子供がいる家に愛人が入り込んでいるような状況については、厳しい監視の目が必要だと思います。
 
人権侵害、と騒ぐ輩がいますが、子供の人権は無視していいのでしょうか、小さい子供が、自分の人権を主張し、当局に助けを求めることなど出来るはずもないのですから。
 
少なくとも、愛人の同居の事実がある場合は、当事者でも近隣の者でもいいですから、児童相談所に知らせるような制度を作るべきです、虐待がなくても。
 
人権擁護派からは、お叱りを受けることは重々承知の受けでこの記事を書いています、あまりのもどかしさに。