最近の若者とマスゴミは、国別対抗的な臭いがする競技となると、すぐに、サムライ、を持ち出す。
サムライブルーなんて変梃な言葉が、サッカーで使われている。
サムライジャパン、というバリエーションもある。
サムライのなにをもって、国威発揚の手段としてふさわしいと考えているのだろうか。
禁欲的で、自制心があり、命を差し出すことさえいとわない、というステレオタイプなサムライのイメージを、利用しているのだろう。
最後の、命を差し出すことをいとわない、は先の大戦で散々利用された。
江戸末期、サムライの末路は、散々だった。
それに加えて、無能なくせに野心家で、貧乏でケチな公家なる厄介者を利用したため、いまに続く、危険な政治状況が出現してしまった。
いちど、国民投票をして、白黒つければいいのに、と思う。
跳ねっ返りのサムライが、何もしてこなかった天皇なる権威を利用して、日本国を作ったが、諸制度のコピーと、西洋に対する強いあこがれから、一歩も踏み出すことができなかったからこそ、先の大戦のような、国民を全く無視した非道を、強引に推し進めることができたのだろう。
だから、私は、サムライ、に良いイメージを持てない。
いまの若者と、それをたきつける大人たちが、サムライ、を持ち出すにつけて、その単純な思考と商業主義が透けて見えて、ああ、また頭を使わないで、身勝手なイメージで、サムライを利用している、と感じるのだ。
日本人の大多数は、サムライ、にあこがれ続けているのだろう、新撰組の連中が、真のサムライになりたくて、殺戮を繰り返したように。
結局、この国は、いまだに明治維新から一歩も脱し切れていないのだと思う。